絶壁

絵が上手いとは。絵が下手とは。




デッサン?遠近感?ディテール?パース?ライティング?構図?色彩の統一感?
それら全てをひっくるめたその人らしさ?
オリジナルの単品としては、それでいい。
単純に上手い絵が上手い絵だ。
では、原作が別にあるとしたら。


具体的に言うならば、
最近僕が描いているゆかりんは、果たして本当にゆかりんなのか?


以前、ある絵を見たときに、僕は上に述べるような単純な上手さでもって、
それを、上手い絵だ良い絵だ、と評した。
ある人は、本人が描いてるから、と答えた。
ふと違和感を覚えたが、その時はその正体に気付かず、
すっかり忘れてしまっていた。


久々にP3Pの取説のキャラクター紹介を見て愕然とした。
もはや別人。ダレこれ状態。
脳内イメージだけで突っ走った結果がそれだ。
例え、原作からそれほどかけ離れていないイメージが残っていても、
いつしか何の抵抗もなくアレンジするようになってしまった。
僕は、雰囲気すらも残さないような、
粗悪アレンジャーになってしまったのではないだろうか。
僕は、最も嫌悪する絵描きになってしまったのだろうか。
そして、あの時の違和感の正体に思い至った。
すなわち、


絵として上手い方が評価されるのか。
より原作に近い方が評価されるのか。


時と場合にもよるが、きっと後者なのだろう。
僕はついつい前者寄りで考えてしまうが、
自分らしさを押し出しつつも、原型を失っていないことが大事なんだろう。


それを確かめてみたくて、
原作に忠実に似せようと偽せようと足掻いてみたけれど、無理だった。
想像以上に僕には僕のスタイルが染み付いていたらしい。
ていうか忠実な模写が無理らしい。全然駄目。
第一に技術云々というものがありながらも、忠実な模写ってのが楽しくない。
アレンジ病恐ろしい。


いつからだろう。
単に描きたいものを描いていさえすれば幸せだったのに、
色々と小難しいことを考えるようになってしまったのは。
どうでもいいくだらないことに思いを巡らすようになったのは。
誰かに評価されたくなってしまったのは。
いつからなんだろう。


最も大切な事は、描き手が絵に込めたものが、見た人に伝わるということ。


まず、ゆかりんであること。
ツリ目でちょっと勝気なこと。
結構スタイルがいいこと。
可愛いこと。
そして、僕がゆかりん大好きであること。
どうでもいいが、僕が薄いピンクのシャツフェチであること。
薄い黄色とか薄い青もいいよね!


願わくば、そのどれか一つでも伝わりますように。