life after tomorrow

ようやく、自分の居心地のいいやりかたがわかってきた気がする。
ここまでくるのに2年以上かかってしまった。
寄り道や迷子や泥沼や袋小路。
たくさんたくさんふらふらした。
過ちを犯し、間違いを知り、
躊躇して転びながら這いずり這い蹲りながら進んできた。
時には後戻りもした。
何度も何度も同じ間違いを繰り返した。
きっとたくさんたくさん迷惑かけた。
そして、またこれからも迷惑をかけるんだろう。


ver.4は誰も見てないことが前提。
強いて言えば、未来の自分に対して綴ってる。
未来の自分への自慢。
未来の自分への戒め。
未来の自分への問いかけ。
未来の自分への贖罪。
昨日の自分から、
今日の自分へ。
そして、明日の自分へ。
明日のそのまた先の自分が、
過去を懐かしみ楽しめるように。
明日の次の自分の礎となるように。
僕のためを最優先にした場所。
だから何でも書ける。
何でも出せる。
でも、僕1人じゃなくて、
誰かが見ることで、
世界は広がっていく。
知識と思い出が増えていく。
だから、誰が見ても構わない。
誰に見られても構わない。
むしろ覗き大歓迎。
限りなく個人的で、
限りなくオープンな場所。
そんな矛盾した場所になればいい。


下らなくて気分が悪くなることもたくさん。
痛くて死んでしまいたくなることもたくさん。
嘲笑いたくなることも、
キーボード叩き割りたくなることも、
そしてもちろん、笑いたくなることも。
たくさんたくさん。
綴った僕自身ですらそうなのだから、
他人にとってはもっと下らないのだろう。
でも、僕と誰かが作って、
僕が僕のために綴った、
かけがえのない思い出。


見るのも自由、見ないのも自由。
見たくなければ読まなければいい。
でもそれは、他の誰かにとって。
僕だけは見なければいけない。
見続けなければ、綴り続けなければいけない。
いつか最後の明日が今日になってしまうまで、
続けないといけない。
僕が僕でいると言うことは、
きっとこういうことなんだろう。
最近、そう思うようになった。


んでもって、きっと明日の僕は、
何くさいこと言ってんだこいつ、と悶絶する。