決断(Bracken-starch dumpling)

またの名を先入観。




それは時間との戦い。


決断することにおいて早漏であることに
絶対の自信がある。


どうでもいいことはうだうだぐじぐじと悩み続けるくせに、
(というか、答えは出てるくせに悩んでるふりをし続けるくせに)
本当に大事なことはさっさと決めてしまう。
どうしよう、とつぶやき終わった頃には、
とうに答えは出てしまっている。
例え悩んでいるように見えても、
悩んでいるふりをして、
決断を補強する材料を必死で探してるだけに過ぎない。


「決断力がある」
ひどく歪曲した好意的な捉え方をすればそうなる。
だが、真実は違う。
悪意を根こそぎ取り去っても、そこには思慮の浅薄さと先入観の塊しか残らない。
しっかり考えた上での決断の早さは美徳だが、
早過ぎることは欠点でしかない。


早漏な決断で得したことは確かにある。
だが、後悔したことや現在進行形で後悔し続けていることも数多いのだ。
そのほとんどが、間違った先入観によるもの。
先入観なんて当てにならない。
先入観は悪だ。


しかし、無条件に悩むことがいいことだとは思わない。


悩んだところで選ぶことを赦された選択などいくらもなく、
悩んだ末に決めたところで、結局行き着く先は同じだということもある。
そもそも、悩んだ時点で別の結論に未練があることは間違いなく、
全てが終わった後で別の結末に浮気するはめになりかねない。
だったら、悩むだけ無駄だ。
悩むことに時間を割くくらいなら、
さっさと決めてしまって残りの時間に
キモい妄想でもしているほうがいい。
悩み続けてチャンスを失うよりは、
自らの手でチャンスを潰すほうがいい。
楽な道を探してうろうろするよりも、
茨を真っ直ぐ突っ切るほうがいい。
振り返れば、いつだってそこに道はある。


これからも先入観に振り回され続けながら、
後悔し続けていくのだろう。
終結果が出てない以上、
どっちがいいかなんて答えが出るわけがなく、
信じるしかない。
そして僕は、早漏な決断とあやふやな先入観で、
先入観に満ち満ちた人生を支持するのだ。
わらび餅を3パックも買った自分を支持するのだ。
だって安かったんだもん。


いつまで続くか連日更新。